蹴飛ばされて 転がってく 空き缶とかわらない毎日

アーシャのアトリエをクリアした。

アーシャのアトリエ ~黄昏の大地の錬金術士~ (通常版)

アーシャのアトリエ ~黄昏の大地の錬金術士~ (通常版)


トロフィーとか実績をコンプリートしたゲームはXbox360版のCoD4とこのアーシャのアトリエ~黄昏の大地の錬金術士~のふたつだけである。
アトリエシリーズの存在は知っていたけど、自分のような層に向けられたゲームじゃないと思っていた。なんとなくvitaで遊べるライトなRPGを探していた所にトトリのアトリエが移植されたので「じゃあやってみようか」という感じで手を出したのが最初だ。「女子供がやるゲームに俺が苦戦するわけないだろ」と余裕をぶっこいていたらいきなりバッドエンドに突っ込まされて軽くショックを受け、半分ムキになってプレイしていた。そしてトトリ、メルルとプレイし、今度新作が出るというのでこのアーシャのアトリエをプレイすることになったんだけど、vitaの手軽さに慣れてしまうと据え置き機でプレイするのが面倒すぎると思ったのも束の間、結局トロフィーをコンプするまでプレイしてしまった。というか普通に2周プレイしたらコンプ出来るくらいの設定。
行方不明の妹を探しに出る天涯孤独の少女と栄華の時代を過ぎゆるやかに衰退していく世界という若干重めの設定。それでも優しい隣人や明るい友人に囲まれて――というけど、そんな楽しいイベントが設定に対し不自然なほど積み重なる度に、なんとなくその裏側にある寂しさのようなものを感じずにはいられなかった。プレイしながら「一体どうなったら俺は満足するんだ?」という疑問が常につきまとう。「ウィルベルが可愛ければそれでいいじゃないか」とも思ったけど多分違う。その疑問が氷解するのはラスボスっぽいのを倒して妹を救った後だ。アトリエに戻り、BGMが『夢を織る家』に変わった瞬間に「ああ…、あああ…!」みたいな感じになったんだけど、何がどうなってこういう心境に至ったかというのは非常に説明が難しい。それまでがずっと悲しい物語だったというわけでもないのにこのカタルシスはどこから来たんだろう。「こういう退廃的な世界観は大好物だぜ」みたいに格好つけてても、心の奥底で求めていたのは詰まるところこういう優しい日常なんだろだと強引に突きつけられた気分だが決して不愉快ではない。この時点でキャッチコピーの「約束が、始まる。」を理解するわけだけど、これらは偶然の産物ではなく明らかにデザインされたものだろう。このゲームを構成する音楽、システム、グラフィック等の要素に他のゲームには無い特別優れたところがあるとは思わないけど、単純な性質の組み合わせから全体の振る舞いを知り得ないのと同じように、絶妙なバランスで成り立っているゲームだと思う。ゲーム製作者の腕前ってこういうことじゃないの。
とまぁ絶賛したわけだけど不満点が無いわけじゃない。立ち絵を廃止して3Dにするならもう少し動きのパターンがないと脳内補完の余地が減った分を補えていないと思うし、ラスボス戦の音楽はそれまでのどこかの曲のアレンジってのはもはや鉄板だけどそこに至る過程が希薄でもったいないとか。
あと特別優れた所は無いと言っておきながら音楽はかなり優れていると思う、こういう評価の仕方に意味があるとはあんまり思ってないけど。『辺境の笑い声』は久しぶりのずっと聴いていたい街曲。それこそワイルドアームズ2の『西風の吹く街』以来な気がする。