蹴飛ばされて 転がってく 空き缶とかわらない毎日

アサシンクリードリベレーションが発売ですね

今日から4連休だけど天気良ければバイク、雨ならゲームでいこうと思っているんだけど雨な上にまだ届いてねーんだよこの野郎!

アサシン クリード リベレーション【CEROレーティング「Z」】

アサシン クリード リベレーション【CEROレーティング「Z」】


自分が発売日に迷わず買うゲームの一つがアサシンクリードシリーズなんだけど、このゲームについては一家言あるのだ。ハッキリ言うと初代アサシンクリードから続編が出るにつれ、ゲームとして面白くなってはいるけど、それに伴い失っているものが大きすぎると個人的には声を大にして言いたい。このゲーム、現代の主人公のデズモンドがアニムスという機械を使ってDNAから祖先である歴代アサシンの記憶を追体験し、そこで得た情報から再び現代の陰謀を阻止するという設定だが、最近のシリーズはその追体験部分に凝るあまり箱庭ゲーとしての色を強め過ぎていると感じている。一つ例を挙げると体力の回復方法だけど、そもそも初代は体力というパラメータではなくてあくまでアニムスとのシンクロ率だったはずなのだ。なので一般人を無闇にSATSUGAIしたりするとアサシンとしての理念と行動に矛盾が生じて最終的にアニムスとのシンクロが切れてしまう――ということだった筈なのだが、2以降は自然回復が無くなり、薬屋で薬を使って回復しなければならなくなった。たしかにプレイヤー自身が実在した過去の街を散策出来るゲーム、となると自然回復は確かに不自然で怪我は薬を使って治す必要があるというのが自然かもしれない。でも違うでしょ?プレイヤーはエツィオやアルタイルじゃなくてデズモンドだろ?なんで記憶の中で薬飲んだらアニムスとのシンクロ率が回復するの?「いや、あれシンクロ率じゃなくて体力だから」と言われたら返す言葉もないけど、俺が好きなのはあくまで過去のアサシンの記憶を追体験するデズモンドの物語であり、アニムスを使用して過去の記憶とシンクロしているという設定は忘れて欲しくないというか最初に情報もなく初代をプレイした時に「舞台は現代かよ!」と驚くと同時に物語に引きこまれた原因のひとつでもある。言ってしまえば過去にアルタイルやエツィオがどういう最期を遂げたとかまでは興味がなくて、あくまで物語のキーとなる情報として過去のアサシンの歴史があるのであり、アサシン体験をメインに据えたら最早それは別の設定の別のゲームじゃねーかと思うのだが、制作側もゲームタイトルにナンバリングを付けてこないあたりそこら辺はわかっているのかもしれない。今作に「エツィオ最期の戦い」と銘打っているあたりからも覗えることだ。アサシンクリードはどんどん「アサシンとして過去に実在したであろう街を舞台に活躍するゲーム」に傾倒して行っているが、来年出るかもしれない正式ナンバリング3ではちゃんと思い出させて欲しい、「俺はデズモンド・マイルズ。これは俺の物語だ」ってさ。