蹴飛ばされて 転がってく 空き缶とかわらない毎日

加登脇卓真

お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
2005年南北海道大会決勝をみた人間で、彼の名前を知らない者はいないだろう。
北海道小樽北照高校出身だが、その実情は当時全国制覇をした京都の硬式クラブチームのメンバーをごっそり引き抜いてきた、いわゆる『外人部隊』である。加登脇はその中の目玉選手でエースで4番、甲子園出場もほぼ間違い無しと思われていたが、そこに立ちはだかったのが前年北海道勢初優勝を遂げた駒大苫小牧であった。とりわけ加登脇が3年になって迎えた2005年南北海道大会決勝戦は、その年の甲子園を含めてのベストゲームと言い出す輩も出てくるほどのものハイレベルな試合になった。
北照はエース加登脇をはじめ、2番手に植村(現日ハム)を擁し、対する駒大苫小牧もエース松橋を筆頭に、2004年に横浜高校の涌井(現西武)からサイクルヒットを記録し、昨年東都大学リーグで.400で首位打者を獲得した林(現駒大)、いわずと知れた去年のパ・リーグ新人王の田中将大2年(現楽天)といそうそうたる面子が揃っていた。
加登脇は力あるストレートと切れ味するどいスライダーで駒苫を抑えるが、北照も林の再三の好守に阻まれるなど流れを掴めずに試合は展開していった。試合巧者を見せる駒苫にリードを許し、さらにピンチを迎えたところで北照は加登脇から植村にスイッチ、加登脇は一塁の守備に着く。しかし、その加登脇が打球をジャッグルした間に走者がホームイン、駒苫に追加点を与える形になってしまう。ここで駒苫も田中を投入、しかし北照も意地を見せ田中から追撃となる得点を奪う。
そして5-2駒苫リードで迎えた最終回、2塁に走者を置いて4番加登脇に打席が巡って来る。駒苫としては加登脇を敬遠する手もあったが、ベンチからの指示は「ホームラン打たれてもまだ1点ある、勝負だ」であった。田中の渾身の内角ストレートを加登脇はフルスイング、打球は一瞬で札幌円山球場のライト場外へ消えた。
試合は5-4で終了したが、試合後「北海道に来て良かった」と語る加登脇に『所詮は外人部隊』と彼らに否定的だった人々も彼と彼らに惜しみない賛辞を送った。
その年の高校生ドラフト、巨人の指名は

  • 1位:大阪桐蔭 辻内(2005夏の甲子園準決勝で駒苫に敗れたがMAX150を超える大型左腕でAAAでも活躍)
  • 3位:小樽北照 加登脇(投手としての指名)
  • 4位:済美   福井(2004年度選抜優勝&2004年夏準優勝投手)

であった。下位指名を不服として福井は指名を蹴り1年後に早稲田大学に進学することになるが、そのとき「甲子園での実績の無い加登脇より下の順位での指名とかふざけてるの」と解釈できる談話が漏れた時、「はあ?お前が加登脇より上だと思ってんの?テラワロスwww」的なことを2ch芸スポ板に若気の至りで書き込んだりもした(実際野手としての完成度は福井のほうが上だったし、体格など期待値をこめての順位だとは思ったけど)。
巨人入団後、ルーキーは『左の辻内、右の加登脇』的な扱いでテレビで特集されたりもしてたし、初年度の途中までは2軍とはいえ辻内より良い成績だったと記憶している。その後、辻内の故障もあり同時に加登脇についての情報も途切れがちになって自分もあまり熱心に追いかけていなかったのだが、今回の戦力外通告には驚きを隠せなかった。
最初のシーズン中盤くらいに、投手での指名を意外に思ったこともあり、「さっさと野手転向させろよ、松井以来の高卒大型左大砲だろが」的なことを2ch芸スポ板に若気の(ry書き込んだりもしたこともあったので野手としての道もあるかもと思ったが、一塁しか守れないうえに高校時代を見ているかぎり守備のセンスがあるとも言いにくいので難しいところだろう。実際戦力外の理由は調べていないので故障とかもあるのかもしれないが、個人的には育成枠か他球団で彼の行く末を見てみたいと思う。
もし、これ以降彼の姿をグラウンドで見れなくなるとしたら、悲しいことだが多くの人は加登脇卓真という男のことを忘れてしまうだろう。だから彼に心動かされた人間の一人として何か書き残しておかなくてはという思いに駆られこのエントリを投稿した。


追記

夏の決勝、走者は1塁だったし、田中の投げた球も内角じゃなかった。